廊下にチャイムの音が鳴り響く中、フロッピーディスクとペンケース、
「コンピュータ基礎」の教本を抱えて、英二と一緒に移動教室へ向かう渡り廊下を
歩いていた。

「やだなぁー、俺パソコンの授業大嫌い!ネットは楽しいのになぁ・・・」

「英二毎週フロッピー提出の時、人のコピーしてるでしょ、テストの時困るよ?」

「テストより今だよ、今!提出しないと帰してくんないんだもん、岡田の野郎。
あいつ、マジむかつく。自分の教え方が悪いくせにさ!」

「あはは、英二はホントにパソコン苦手だもんね。」

「ネットは好きなんだけどねぇ・・・あ、さっきも言ったか。」

そんな英二との何気ない会話の中、僕は前方からやってくる
数名の男子生徒の集団に、密かに神経を研ぎ澄ませていた。
ちょうどこの時間は毎週、1組も体育の授業で、更衣室への移動に
この廊下を通る。それを知ってからはいつも、その中に手塚の姿を探しては、
密かに目で追っていた。

(あ・・・いた。)

クラスメイトと比べても頭半分くらい背の高い彼は、
いつも簡単に見つけられる。
隣には、僕の知らない彼の友達が並んで歩きながら何か話しかけていて、
手塚はそれに相槌を打っていた。

あのキスの日以来、僕はまだ手塚とまともに会話をしていない。
何となく照れくさくて、つい避けてしまっていた。
さらに言えば、こうして密かに彼を盗み見ている今ですら、頭の中は先日の
自慰行為でいっぱいになってしまっていて、押し寄せる罪悪感とどうしようもない
情欲に、まともに顔なんか見られるような状態ではなかった。
我ながら何て情けない現状だろう・・・と、一人ため息をもらしつつも
やっぱり目は自然と彼の姿を追ってしまっていた。

そして、向かい側からやってくるその集団のざわめきとすれ違う
ほんの一瞬・・・
思いがけず手塚と目が合った。

心臓が跳ね上がるのと同時に、僕は勢いよく目線を左斜め下の方へ
顔ごと反らした。

あまりに勢い良く反らしてしまったため、もう一度そっちを見ることなんて
できずに、その場にいることすら何となく気まずくて、僕はとっさに
早足で駆け出した。
突然の僕の行動に驚いた英二が後ろから叫ぶ。

「え・・・?!不二、どしたの?」

「え、えーじ、ほら、早く行かないと、始まりのチャイム鳴っちゃうよ!」

「ちょっ、ちょっと待ってよー!」

自分でもあからさまに不自然なのは百も承知だったけれど、すっかり
気持ちが動揺してしまって、どうしていいかわからないままバタバタと
渡り廊下を駆け抜けた。

今までだって、廊下ですれ違う時に目が合うことはあったし、
お互い軽く微笑い合うくらいはしていた。
だけど、あまりに色々考えすぎて、もう頭の中はぐちゃぐちゃで・・・
つい、とっさに。

(手塚・・・変に思ったかな)

思い切り反らしてしまった視線を今更ながら後悔しつつ、
頬杖をついて何となしにマウスをいじっては、パソコンの画面に
映し出されている細かい数字の羅列した表とにらめっこして、
結局僕はその授業時間いっぱい、さらには放課後の部活まで
そのことばかり鬱々と考えてしまっていた。

 

そして、放課後。
何となく重い足取りを引きずって、部室に向かい早めに着替えを済ませて
コートに出ると、すでに数人の部員が柔軟を始めていて、挨拶を交わす。
手塚は、まだ来ていないみたいだ。

一人で軽い柔軟を始めると、掃除当番で少し遅れて
やってきた英二が、後ろから声をかけてきた。

「ふ〜じ!練習前にちょっと打ちたいんだけど、相手してくれる?」

「うん、いいよ。」

テニスバッグからラケットを取り出して、コートに入って
軽く英二と軽く打ち合っていると、コートの入り口側から
部員達の「おはようございます」という声が響き渡り、空気が
一瞬引き締まったから、すぐに手塚がきたのだとわかった。
少しの動揺と、でもそれを表に出さないよう何とか平静を
装ってそのままラリーを続けた。

「ふじー、そろそろ調子上げてもてもい〜い?」

「オッケー!」

余計なことを考えずに済むように
打ち合う球に少しでも神経を集中させようと、
少しだけ力を込めて打ち返したほんの一瞬、
何か、視線を感じてコートの端を見ると、また、手塚と目があった。

(・・・え?)

恐らく時間にすれば数秒のことだったろう。
僕は、ラケットを振り下ろした姿勢のまま目を見開いて固まってしまった。

そして・・・

「不二!!危ない!!」

そう叫ぶ英二の声が耳に飛び込んだ瞬間、
頭に強い衝撃を受け、バランスを崩してその場に倒れこんだ。

コート内にざわめきが走り、口々に何かを叫びながら
バタバタと自分に駆け寄る数名の足音が聞こえた。
鈍い痛みの走る右のこめかみを押さえながら起き上がろうと
すると、ふいに誰かが後ろから体を支え起こしてくれた。

「ごめん、不二!大丈夫!?」

駆け寄ってきた英二が心配そうに顔を覗き込む。

「うん、大丈夫大丈夫。そんなに強い球じゃなかったし、
僕がボーッとしてただけだから、気にしないで。」

「ホント!?痛くない?痛くない?」

「だいじょうぶ。」

言いながら笑いかけると、英二は少しだけ安心したような顔を
見せた。

「念のため保健室へ行ったほうがいいな。俺が付き添おう。」

ふいに、背後から聞きなれた声がして、僕はそこで初めて、
自分を支えるその腕が、手塚だということに気づいて驚いた。
しかもすっかり手塚にもたれかかるように座り込んでいるこの体制。
振り返ればすぐそこに手塚の顔があった。
あまりにも突然の出来事に、頭の痛みも忘れて真っ赤に染まる
頬をごまかすのに必死だった。

「い・・・いいよ手塚、全然たいしたことじゃないし、もう
痛みも無いから!」

「いや、倒れた時に肘をすりむいている。
手当てはしておくに越したことはないだろう。」

そういって、僕の腕を掴んで立ち上がらせると、
それ以上何も言う間も与えず、ぐいぐいと手を引いて保健室へ
直行した。

結局口を開く余裕も無いまま連行されて、気づけば
保健室の前に到着
していた。
手塚がドアをノックしても何の反応もなく、
中を覗いてみると先生は外出中のようで、誰もいないようだった。

「しかたない、とりあえず応急処置だけでもするか。」

ずかずかと中に入り僕を白い丸椅子に座らせると、
手塚は手際よく消毒液やガーゼ、ピンセットを器具の
並ぶ銀の棚の上から取り出し、処置を始めた。

何を話すわけでもなく、お互い無言のままで、僕は気まずさを
引きずったまま、ただ黙って腕を出していた。
怪我をしたときは気づかなかったけれど、思ったより派手に
肘をすりむいていたらしく、数ヶ所からぷっくらと血が溢れて
それが肘先に溜まり、あと一歩で滴りそうだった。
吹き付けられた消毒液が少しだけ染みて、顔をしかめながら
ピンセットでつまんだガーゼが赤く染まっていくのを眺めていた。

距離が・・・近い。

数センチ先に、手塚の顔がある。
俯き加減だし、前髪でよく顔は見えないけれど・・・

よくよく考えてみれば、今この空間に手塚と
二人きり。
嬉しいけれどやっぱり気まずい・・・
そんな微妙な気持ちのまま鼓動が微かな高まり
を見せていたその瞬間、手塚の口から意外な言葉が飛び出した。

「・・・お前、ここ数日俺のことを避けていないか?」

「え・・・?」

あまりにも予想外のその一言に、一気に心臓が跳ね上がり、
驚きのあまりそれ以上何も言えず固まってしまった。

 

 

頭の中は、真っ白。

 


必死で返す言葉を探してみても
思い切り反らしてしまった目線は気づかれて
当然でごまかしようも無いし、思い返せば他にもあれこれ
態度に出しすぎていたような気がして
そう言われても全くおかしくない状況だったし、
何よりこのタイミング、あまりに突然すぎて
心の準備も何も出来ていなかった。

 


「何で・・・?そんなこと無いよ。」

そう言うより他に思いつかなくて
今できることなどあとは笑うことぐらいのものだと、
引きつる頬を無理やり上げて精一杯の笑顔を作った。
まるで自分の内側から誰かが左胸をどんどんとひっきりなしに
殴りつけているかのように心臓はバクバクと音を立てて体内に鳴り響き、
体中から変な汗が大量に吹き出すのを感じながら次の
手塚の言葉を待つまでの時間がとてつも無く長く感じられた。

 


「・・・そうか。それならいいんだが。」

僕の緊張とは裏腹に、意外にあっさりと、
つぶやくようにぽつりと言うと手塚はそれ以上
何も言わず処置を終わらせ無表情のまま絆創膏の袋を剥がしている。

「あの、避けてるように見えた?」

「・・・何となく、そう思ったんだが俺の勘違いならばいい。
突然すまなかった。」

「う、ううん。全然いいよ。」

本当に納得したんだろうかと気にはなったけれど
自分的にあまりこれ以上この話題について触れるのは危険だと、
あえて踏み込むのはやめようかと思ったものの、手塚がまだ何か
言いたそうな顔をしているような気がして、困惑した。

結局何も言えないままちらちらと時折手塚の方に
目をやっていると絆創膏を僕の肘に張り終えて再び手塚が口を開いた。

「・・・、」

その瞬間勢い良く大きな音をたてて保健室のドアが開いて、
手塚の発した最初の言葉が何なのかすらよく聞き取れなかった。

「ふじーー!!大丈夫!?」

現れたのは英二。
僕の顔を見るなり勢い良く駆けつけて
飛びついてきた。

「心配で見に来ちゃった、ホントごめんね
俺のせいで・・・もう痛いとこない?」

「うん、大丈夫だよ。英二は心配しすぎなんだから。」

「だってぇ・・・。あ、手塚、大石が呼んでたよ。あとは俺がやるから
行ってやってくれる?」

「ああ・・・わかった。」

そうして中途半端な空気のまま、手塚は保健室を後にして、
僕は最後に彼が言いかけたことが気になっていた。

「肘の手当ては終わったの?あと、ぶつけたとこは大丈夫?」

「うん、もうなんとも無いし手当ても終わったから大丈夫。
僕達も部活に戻ろうか。」

言いながら軽く辺りを片して、ドアの方へ向かっても
英二はついてこなくて、振り返ってみると黙ったまま
少し真剣な顔で僕を見つめていた。

「・・・英二?どうしたの?早くいこ。」

「さっき、手塚と何話してたの?」

「え?どうして?」

「何か、俺が入ってった時二人とも微妙な顔してたからさ。
何かまずいタイミングで入っちゃったのかと思って・・・。」

意外に鋭いところを突かれて、一瞬戸惑ったけど
自分でも頭の整理がついていないし、何より説明のしようがない。

「そんなことないよ、全然普通の話しかしてなかったし。」

「そっか・・・なら良かった。」

「うん。さ、行こ。」

何だか今日はごまかしてばかりだ・・・
そう思いながら再びドアに手を伸ばしたその時、
後ろから強く腕を引かれ、振り向くと一瞬、視界が
真っ暗になった。
そして、背中にドアの感触を感じたその瞬間、
唇に、何か柔らかいものが当たった。

 

・・・?

この感触、どこかで・・・

 

そう思っているうちに、その感触は離れ、
視界に光が戻った。
すぐ目の前には英二の顔があって、
僕の視界を遮ったのは英二の手だとその時
初めて気づいた。

「ごめん・・・。」

何だか泣きそうな顔をした英二がそう、
一言だけつぶやいて、ものすごい勢いで
ドアを開けて出て行った。

「何だったんだろう、一体・・・。」

一人、取り残されて今までの一連の流れに
全く追いつかない頭を徐々に回転させていくと、
だんだんと、気づいてはいけないことに気づいてしまいそうで
何だか怖くて・・・
ただ一つわかったのは、さっき僕の唇に当たったもの・・・
あれは、ついこの間感じたことのある感触。
手塚との、キスの時と同じ。
だからあれは多分、英二が僕に・・・。

 


そこまで考えたとたん、僕の思考は完全停止した。
これ以上考えたら、何だか頭が爆発してしまいそうで。
もう、限界。

 


ただでさえぐちゃぐちゃの状況の中に
突然現れて嵐を起こして去っていった
英二に、僕はもう何から頭の整理をつけていいのかわからずに
ただ呆然とその場に立ち尽くすだけだった。

 

 

 

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